ポスト・リハーモナイズ。最近のリハーモナイズに思う 2022/3/25掲載
「フツーでいいよ」。
例えば、ヴィブラフォンのレッスンでこう言うと、曲のコードの流れに逆らわず、自然に演奏しなさい、という意味なんですが意外と難しいのだそうです。
「フツーでいいよ」。
レッスンもアドバンスドになると自分で演奏する曲を書く作業が加わるわけで、一週間に一曲。例えばバラードで「フツーに聞こえる曲」というお題が出ると、これが難しいのだそうです。
そうか、「フツー」というものの基準がジャズには無いのか?
いやいや、そんなはずはない。それはおかしい。
自分で「フツー」に思う事を書くだけだから、決してポップスを書くとか、ヒット曲を作りなさいというのとは違う。
ところが、逆に「フツーじゃイケないんだ」と思い込んでる人もいる。
曲を書いた事がある人ならわかると思うけど、「フツー」の曲っていう基準なんかない。だからポップスとかヒット曲とかという基準も曖昧で、何をしてポップスなのかという明確なものはない。そんなだから「フツーじゃイケないんだ」という「フツー」って何?
多くの人が口ずさみたくなるメロディーが出来たなら、それに似合うコード進行とリズム(ビート)が組合わさればヒット曲になるかもしれないし、より奇々怪々でスリリングなコード進行と複雑なリズムが合わさると、いくら口ずさみたくなるようなメロディーでもヒット曲にはならない。だけど、口ずさみたくなるようなメロディーがある限りヒット曲以外の世界でそれを求められる可能性はある。歌では無理でもインストだったら成立するとか。
だから「フツーの曲」というのは、出来た後の出口のそういう世間との接点を意識したものではなく、自分が思い浮かぶものを書けばよい、という意味なんだけど、これが妙な結果を生んだりする。
「なんでここにこのコードが来る必要があるの?」
だいたいそういう質問攻めになる。
すると、ここで出て来るんだな、「それは、フツーじゃイケないと思って・・・」と。
「そのフツーじゃイケないって誰が言った? 僕は一度も言わないよ。周りの誰かが言ってるの? じゃ、その人の曲ってフツーじゃなく出来てるんだ」って。
そもそも、フツーかフツーじゃないかは自分で決める事ではない。
聞いた人がどう感じるかで決まる。そもそもフツーじゃなく曲を作ろうなんて事自体が、あり得ない。
だから「自分はいつでもフツーに音と接して」いなければ気が付かない事がたくさんある。
フツーじゃない、と言ってる事自体が実はどうしようもなく普通なんだよね。普通と言うよりも平凡って事かな。
ただ、ジャズの入口にはそんなのがたくさん転がっている。他の音楽よりも多く確かにゴロゴロ転がっている。
僕らもそれを最初は拾わなきゃいけないのかと思いかけたけど、作曲という視点からみるとそれはそのまま転がしておいていいものだとわかった。そこにあるのを知っている事が大切で、それを無視や否定するのではなく、自分が音楽でそれに近いところへ踏み込んだ時に「ああ、これかぁ! 」と目を輝かせて拾い上げられる為に。いつでも初心の感覚を失わない為にも。
だから「フツーでいいよ」という言葉をそのまま受け止めて欲しいな。
リハーモナイズ(reharmonize)。よく目にする言葉でしょ。
僕らがジャズを学んでいた頃は、とにかく元の形がわからなくなるくらいコードを置き換えてその秘技を競うような風潮がありました。デコトラってあるでしょ。アレみたいな感じで、「おお、そこでそのビーム出すか!?」なんて驚きの技を仕込んで自慢するのです。もうそこ一点に人生すべてを賭けているくらいの気持ちでリハーモナイズさせていました。
世の中がそうさせていたのもありますが、これだけ情報が無駄に氾濫している今の時代にはちょっと似合わない気がします。ジャズで「フツーじゃダメ」みたいな心理が働いた要因とも無縁ではないかも。
例えばリフォーム(reform)とリノベーション(renovation)と言う改築の言葉があります。この二つには違いがあって、リフォームはいわば修繕です。音楽では痛むところはないけれど、古臭く感じてしまう部分はあります。当時は流行っていたけど時間の経過で古臭さが拭えなくなっているもの。
極端な話がリズム、ビートです。音楽の中で一番先に古びてくるのがビートなんです。
なのでビートに頼り過ぎた楽曲はすぐに朽ち果ててしまうものですが、そこまででもなかった楽曲はビートを変えるだけで生き返ります。コレを音楽のリフォームとしてはどうでしょう。
対してリノベーションが旧来のリハーモナイズ。刷新して新しいものへと更新する。ただし、メロディーは変えられない。ここがネックで時代的にはややずれを感じさせるのです。そのメロディーに似合ってないかもしれない・・・と言う検証不足。
決してリハーモナイズを否定するのではなく、最初から何の疑問も挟まずに鵜呑みにする事への警告ですかね。
ちょうど有名スタンダードを少し改良する機会があったので、一部分をその例として出してみましょう。
今のかっこいい、はコテコテよりもサラリです。
放っておくと気が付かないくらいの処方が良いかと。
ヴァン・ヒューゼンの有名曲“Polka Dots And Moonbeams”の冒頭の部分で見てみましょう。
よくある本に載っていそうなコード進行ですが、これがすでにリハーモナイズされているわけです。
このコード進行で演奏(ソロを)しようとすると、自分の意思にそぐわないコードに出会うのがわかるでしょうか。
まずメロディーに対して、このコード進行が持っているベースラインを弾いてみることからその検証は始められます。つまりメロディーに対して自然じゃない流れを感じる場所があるとすれば、それがリハーモナイズの痕跡と言う事です。
僕は1小節目の四拍目に置かれた Ab7 に 違和感 ( Oops!! )を感じるんです。
もちろんコードとしてはメロディーを b9th として成立させているコードではあるけれど、ベースラインだけでメロディーと並べると、これはやはり Oops!!
そう思うコードがあるからソロを演奏する時になると、この部分にだけ「かなりの気配り」をしなければならないのがもう今となっては不自然に感じてしまうのです。
昔とは逆に、デコレイトした部分を取り払って、一番自然な形に戻してみましょう。
自然な流れの中でソロを考えるべきです。
極力作為的にならず、自然にメロディーを支えるコードに戻してみました。
すると・・・
自然でしょ?
シンプルすぎるかもしれないですが、ソロを演奏する上でもすっきりします。
このコード進行がメロディーに対して上手くワークしているかを、リハーモナイズを炙り出したのと同じように、メロディーに対してベースラインを考えてみましょう。
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