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【演奏講座】ポスト・リハーモナイズのこと

ポスト・リハーモナイズ。最近のリハーモナイズに思う 2022/3/25掲載

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「フツーでいいよ」。
例えば、ヴィブラフォンのレッスンでこう言うと、曲のコードの流れに逆らわず、自然に演奏しなさい、という意味なんですが意外と難しいのだそうです。
「フツーでいいよ」。
レッスンもアドバンスドになると自分で演奏する曲を書く作業が加わるわけで、一週間に一曲。例えばバラードで「フツーに聞こえる曲」というお題が出ると、これが難しいのだそうです。

そうか、「フツー」というものの基準がジャズには無いのか?
いやいや、そんなはずはない。それはおかしい。
自分で「フツー」に思う事を書くだけだから、決してポップスを書くとか、ヒット曲を作りなさいというのとは違う。
ところが、逆に「フツーじゃイケないんだ」と思い込んでる人もいる。

曲を書いた事がある人ならわかると思うけど、「フツー」の曲っていう基準なんかない。だからポップスとかヒット曲とかという基準も曖昧で、何をしてポップスなのかという明確なものはない。そんなだから「フツーじゃイケないんだ」という「フツー」って何?

多くの人が口ずさみたくなるメロディーが出来たなら、それに似合うコード進行とリズム(ビート)が組合わさればヒット曲になるかもしれないし、より奇々怪々でスリリングなコード進行と複雑なリズムが合わさると、いくら口ずさみたくなるようなメロディーでもヒット曲にはならない。だけど、口ずさみたくなるようなメロディーがある限りヒット曲以外の世界でそれを求められる可能性はある。歌では無理でもインストだったら成立するとか。
だから「フツーの曲」というのは、出来た後の出口のそういう世間との接点を意識したものではなく、自分が思い浮かぶものを書けばよい、という意味なんだけど、これが妙な結果を生んだりする。

「なんでここにこのコードが来る必要があるの?」

だいたいそういう質問攻めになる。
すると、ここで出て来るんだな、「それは、フツーじゃイケないと思って・・・」と。
「そのフツーじゃイケないって誰が言った? 僕は一度も言わないよ。周りの誰かが言ってるの? じゃ、その人の曲ってフツーじゃなく出来てるんだ」って。

そもそも、フツーかフツーじゃないかは自分で決める事ではない。
聞いた人がどう感じるかで決まる。そもそもフツーじゃなく曲を作ろうなんて事自体が、あり得ない。
だから「自分はいつでもフツーに音と接して」いなければ気が付かない事がたくさんある。
フツーじゃない、と言ってる事自体が実はどうしようもなく普通なんだよね。普通と言うよりも平凡って事かな。

ただ、ジャズの入口にはそんなのがたくさん転がっている。他の音楽よりも多く確かにゴロゴロ転がっている。
僕らもそれを最初は拾わなきゃいけないのかと思いかけたけど、作曲という視点からみるとそれはそのまま転がしておいていいものだとわかった。そこにあるのを知っている事が大切で、それを無視や否定するのではなく、自分が音楽でそれに近いところへ踏み込んだ時に「ああ、これかぁ! 」と目を輝かせて拾い上げられる為に。いつでも初心の感覚を失わない為にも。
だから「フツーでいいよ」という言葉をそのまま受け止めて欲しいな。


リハーモナイズ(reharmonize)。よく目にする言葉でしょ。
僕らがジャズを学んでいた頃は、とにかく元の形がわからなくなるくらいコードを置き換えてその秘技を競うような風潮がありました。デコトラってあるでしょ。アレみたいな感じで、「おお、そこでそのビーム出すか!?」なんて驚きの技を仕込んで自慢するのです。もうそこ一点に人生すべてを賭けているくらいの気持ちでリハーモナイズさせていました。

世の中がそうさせていたのもありますが、これだけ情報が無駄に氾濫している今の時代にはちょっと似合わない気がします。ジャズで「フツーじゃダメ」みたいな心理が働いた要因とも無縁ではないかも。

例えばリフォーム(reform)とリノベーション(renovation)と言う改築の言葉があります。この二つには違いがあって、リフォームはいわば修繕です。音楽では痛むところはないけれど、古臭く感じてしまう部分はあります。当時は流行っていたけど時間の経過で古臭さが拭えなくなっているもの。
極端な話がリズム、ビートです。音楽の中で一番先に古びてくるのがビートなんです。
なのでビートに頼り過ぎた楽曲はすぐに朽ち果ててしまうものですが、そこまででもなかった楽曲はビートを変えるだけで生き返ります。コレを音楽のリフォームとしてはどうでしょう。

対してリノベーションが旧来のリハーモナイズ。刷新して新しいものへと更新する。ただし、メロディーは変えられない。ここがネックで時代的にはややずれを感じさせるのです。そのメロディーに似合ってないかもしれない・・・と言う検証不足。
決してリハーモナイズを否定するのではなく、最初から何の疑問も挟まずに鵜呑みにする事への警告ですかね。

ちょうど有名スタンダードを少し改良する機会があったので、一部分をその例として出してみましょう。

今のかっこいい、はコテコテよりもサラリです。
放っておくと気が付かないくらいの処方が良いかと。

ヴァン・ヒューゼンの有名曲“Polka Dots And Moonbeams”の冒頭の部分で見てみましょう。

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よくある本に載っていそうなコード進行ですが、これがすでにリハーモナイズされているわけです。
このコード進行で演奏(ソロを)しようとすると、自分の意思にそぐわないコードに出会うのがわかるでしょうか。

まずメロディーに対して、このコード進行が持っているベースラインを弾いてみることからその検証は始められます。つまりメロディーに対して自然じゃない流れを感じる場所があるとすれば、それがリハーモナイズの痕跡と言う事です。

僕は1小節目の四拍目に置かれた Ab7 に 違和感 ( Oops!! )を感じるんです。

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もちろんコードとしてはメロディーを b9th として成立させているコードではあるけれど、ベースラインだけでメロディーと並べると、これはやはり Oops!!

そう思うコードがあるからソロを演奏する時になると、この部分にだけ「かなりの気配り」をしなければならないのがもう今となっては不自然に感じてしまうのです。

昔とは逆に、デコレイトした部分を取り払って、一番自然な形に戻してみましょう。
自然な流れの中でソロを考えるべきです。
極力作為的にならず、自然にメロディーを支えるコードに戻してみました。

すると・・・

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自然でしょ?

シンプルすぎるかもしれないですが、ソロを演奏する上でもすっきりします。
このコード進行がメロディーに対して上手くワークしているかを、リハーモナイズを炙り出したのと同じように、メロディーに対してベースラインを考えてみましょう。

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ポスト・リハーモナイズ-その2 2022/4/1掲載

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おもしろいものでジャズの場合、「フツーじゃイケないんだ」という言葉がかなり過度に受け止められる傾向があります。まぁ、少しでも他と違ってウチはね、的な気持は大切ですが、頭ごなしに「フツーなんて」と言うのもどうかと。
そもそも「フツー」と評している事自体が普通の人なんじゃないかと思う。誰だって自分がやってる事を普通だと思っていないとやってられませんよね。なのであまりこの言葉は吐かない方がいいと思っています。普通かどうかは他人が決める事で、それもそんなに意味を持ちません。

でも、なんでこんな言葉が根底に渦巻いているんだろう? と思っていたら、どうやらそれはリハーモナイズなんかが精神的に影響しているのではないかと。20年、30年前ならまだこのリハーモナイズ神話は健在でしたが、今の時代にはあまり似合っていません。それはひとえにミュージシャンの作るオリジナル曲の質的向上が大きく影響していると言えます。それはそれで良い事ですが、オリジナルだからと偏重する気はありません。良いものは良く、そうでないものはそうでもない。厳しいようでもそこにオリジナリティーを感じさせられるものはまだまだ少なく、発展途上中なのを忘れてはいけません。

ただし、それによってわざわざ人の曲をゴチャゴチャとデコレイトするようなリハーモナイズの魅力は薄れています。自分の曲なら好きに出来ますから。問題はバランス。メロディーにコードが、コードにリズムが、リズムにメロディーが、それぞれコレ! という絶妙のチョイスで仕上がっているかどうか。

リハーモナイズが古臭いからもういい、って言ってるんじゃないんです。
例えば市販されているどこにでもありそうな本に載っているコードに何の疑問も挟まないで演奏しているとしたらそれは不幸な事です。そもそもその本に載っているコードはどこの誰が付けたものか不明。それを定番としている限りいい音は聞こえて来ないかもしれないのです。
それなら、その本のコードとメロディーの整合性を知り得る限りの知識で吟味してください。変なところたくさんあります。

それと比べるとリハーモナイズには愛があります。
どうしてもココにこのサウンドを埋め込みたい!! という強い願望がコードの向こう側に広がっているのです。
なぜ、そんなにそのサウンドに執着するのか。。。。。
その辺りの分析から始めると、熱いものが音から伝わって来ます。それが愛なんですが、だからと言ってその愛を強要するのはお門違い。時代と共にその感覚は変化して行くべきです。

先週と同じ、Polka Dots And Moonbeams の冒頭の部分で今の時代らしいリハーモナイズというものを考えてみましょう。

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どこにでもありそうな本に載っていそうなコードです。
ゆったりとしたバラードですから、そこでどんなサウンドが出せるのか、というチャレンジから生まれたコード進行だと思うのです、誰か有名プレーヤーの何かのアルバムでの演奏かもしれません。

先週、このコード進行の中で違和感を感じる部分があれば、それがリハーモナイズされたコードだと判明するのを試しました。

今回も同じように、このコード進行に対して自然なベースラインを置いて検証しましょう。

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やはり何カ所か不自然にベースが動いていますよね。コード全体のサウンドがないと強引というか・・・。ベースが動くからそこに強引にコードを載せているというか・・・・。
こう言う場合、全てをまずニュートラルな状態に戻して考えてみようと思うのです。
メロディーに対して必要最低限のコードにしぼってみました。

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もしもこれが「フツー」のコード進行だとしたら、これは素晴らしく自然な流れを感じるものです。
これをインプロヴァイズに結びつけるのであれば、コード進行はシンプルならシンプルなほどイマジネーティヴに。

では、ここにあるシンプルなコードサウンドを実際に鍵盤で出してみましょう。
コードトーンを基準に。
まずベースがコードの根音(root)を担当するとすれば、コードは 3 way voicing になります。

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メロディーを口ずさんでみましょう。唄わなくても頭の中で鳴らしながらこのコードサウンドを一緒に弾いてみましょう。違和感なんてどこにも無いと思います。

さて、これがメロディーをちゃんと惹き立てているのがわかったら、こんどはヴォイングの中で転回を起こしてレンジの中でも如何にサウンドがブレンドしているのかを検証します。

今度は 2 way voicing で、強拍(1、3拍)はコードの根幹を成す 3rd と 7th 。弱拍(2、4拍)は残りの音を混ぜた 2 way で。

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さて、ここまで検証したら、一番最初に譜例として挙げたどこにでもありそうな本に載っていそうなコードのベースラインを再検証。

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ここで一つ気が付きますね。
ベースの動き( =コードの動き) にパターンがある事を。

一小節の中が、「二分音+ 四分音符・四分音符」というリズムパターンになっているのです。
コードの動きとリズムは強く結び付き連動している場合が多いですから、この傾向をまず頭の中に置いた上でこの4小節を考えてみましょう。

思うに、毎小節が同じリズムパターンの繰り返しとなるところから、ある種強引なリハーモナイズを呼び込んでいる節もある(例えば1小節目の4拍目のAb等)ので、半分の動きに留めてみます。
奇数小節は「二分音符+二分音符」、偶数小節はさっきの「二分音+ 四分音符・四分音符」というリズムパターン。

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ちょっと整理されてきたと同時に、これを土台とした新たなアイデアを挟む事が出来そうです。
リノベーション(renovation)ではなく、限りなくリフォーム(reform)感覚で。




ポスト・リハーモナイズ-その3 2022/4/8掲載

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先々週だったかリハーモナイズ(reharmonize)を住宅なんかのリノベーション(renovation)とリフォーム(reform)に例えてみたのは意外と正解だったかもしれない。後でたくさんの人から賛同の声を頂いた。
いくらスタンダードだからと言ってどこにでもありそうな本に載っているコードで演奏して満足出来る確率は少なく、もうちょっとマシなコード進行に置き換えたりするところから、このリハーモナイズの世界は始まる。

誰もがそうするのは、そこ(どこにでもありそうな本)に載っているメロディーはある程度信用出来ても、それに振られているコードに関しては疑問符がいっぱい。元々ジャズスタンダードと呼ばれる曲は1940〜50年代からのミュージカル・ソングを当時のミュージシャンが演奏しやすいようにコードをいじったものがそのまま伝わっているケースが多い。なのでどこにでもありそうな本に載っている曲でも最近のものは比較的まともなコードが付いている。作曲者自身が健在だったり、誰もがCDや音源でサウンドを確認できるからだ。そう、ミュージシャンズ・スタンダードとなっている“オリジナル”だから。
怪しい(?)のはそうなる前のミュージカルから引っ張って来た曲。
メロディーが覚えやすいのでコード進行もある程度までのデコレーションは可能だ。ただ、当時の「流行」もそれに便乗していて、用も無いのにツーファイブが足されていたりして原曲を著しく汚しているケースがある。中には素晴らしい展開に結び付いているアイデアもあるけど、ミュージカル・ソングと比較してなおもワクワクするようなものは極少数。

そもそもがこの置き換えがスタートだったリハーモナイズ。
ところがある時期からテンコ盛りに置き換える風習が目立ち始める。「この曲が、こんな風になるなんて!!!」と原曲を知る人が腰を抜かすような置き換え。時代がその刺激を求めていたから出て来るべくして出て来たもの。
その中でいろんな技法が編み出されて、よりサウンドに変化がおきた。

主にハーモニーとしての時代経過になるのだけど、それとともにリズムやビートもどんどん変化して行った。
これらの変化のピークは1980年代末だったと記憶する。

さて、今日になってそのリハーモナイズ(ハーモニーもリズム・ビートも含めて)の結果何が残ったか。

一つ確実に言える事は、オリジナル曲の比率の上昇。
つまり、他人の曲(スタンダードなど有名な曲という意味)にどれだけメスを入れて改造出来るかに命を注ぐのではなく、母体からオリジナルを作る時代へとシフトして、そのリハーモナイズに費やしていたエネルギーはオリジナル作りへと移行した。
1990年代から始まって、今日ではそれが当たり前の時代になった。
そうなると、あれ? 昔のスタンダードって、ちょっと見直してもいいんじゃない? と。

ここが肝心なのですが、スタンダードをどこにでもありそうな本に付いているコードで演奏するのは抵抗がある、と感じるなら、今らしいリハーモナイズを施してみてはどうか、と。

昔のリハーモナイズはテンコ盛りで原型がわからなくなるほど重宝されたものですが、唯一欠点が存在していたのです。それは・・・・・・・
メロディーは変えられない!

なので住宅の改装に当てはめるとどんなに頑張ってもリノベーション(renovation)に届かなかったのです。住宅だと内装から外見まで変えられますよね。ガレージを部屋にしたりも出来る。でも音楽だとメロディーという絶対王がいて、いくら斬新なアイデアであっても、メロディーの音はそのまま残さざるを得なかった。
だから、それなら最初から(土台から)オリジナルを作っちゃえ! となったわけです。

で、今の時代なら、もうそういう欲求のはけ口にはオリジナルがあるので、既製曲のリハーモナイズは住宅のリフォーム程度がちょうどよい、という感覚になっているわけです。


■Polka Dots And Moonbeams の冒頭の部分で今の時代らしいリハーモナイズを考える

リハーモナイズ全盛期の名残かもしれませんが、時々コードだけで曲を作ろうとする人がいます。もちろん出来なくはないけど、5曲、10曲、と作って行くと直ぐにネタ切れになります。
ハーモニーの世界は雄大で広がりがありますが、メロディーという主人公がいて初めて輝くのです。
ジャズで言えば、インプロもそのハーモニーを惹き立てる一因になり得ます。いや、なり得るようなソロが望ましいのです。

さて、Polka Dots And Moonbeams の冒頭の部分で今の時代らしいリハーモナイズ。

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よく見かけるコード進行です。
これだけしか知らないと、こういう曲だと思って必死でおさらいするでしょうが、前回までに、そもそもコードが不自然に置き換えられている部分は炙り出しましたね。

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コードの根音と指定されたベース音だけを並べると、まず Ab7 のところは不自然さの極みでした。
たぶん、ここはリハモの為に Ab というベースに置き換えたのでしょう。

三小節目の C はコード上は F7 の転回形でベースを C としているのですが、ここもやや強引かもしれません。

ただ、Ab を除けば、ベースの音とメロディーの干渉具合がそれほど悪くはないので × にはしていません。

メロディーに対してもっともシンプルなコードを予測すると・・・

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このコードがメロディーに干渉しないかを先週コードトーンを使って検証しました。
結果問題ない事が判明しているので、上の例のベースラインに添う検証を。

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コードトーンでベースラインとの整合性を図ると、どうしてもサウンドが濁ってしまう箇所が出て来ます。
二小節目の三四拍のところ。
いろいろコードトーンの組合わせを変えて試してみますが、次の a.) から c.) のようにC7のコードトーンの組合わせではベースに対して響きが濁ってしまうのです。( ▲ の部分)

そこで、もしも、ここはコードが変わったらどうなるのだろうと、最も単純にベースが下がった分だけコードも下げてみたら、d.) のように Bb7 を挿入し、これが実に綺麗に響くのです。( ◎ の部分)

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リハーモナイズとしても、この曲のセカンダリー・ドミナントとして Bb7 は有効だし、願ったり叶ったり。

整理すると・・・・

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メロディーを唄いながら(頭の中で浮かべながら)キーボードで弾いてみましょう。
この Bb7 は立派なリハーモナイズ。

まだまだ気持よくなるリハモが出来そうですよ。




ポスト・リハーモナイズ-その4 2022/4/15掲載

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ライブやコンサートの会場に来られる方の中でヴァイブラフォンやマリンバを演奏されている方とお目にかかれる時があります。まぁ、全体の数からすれば少数勢力のマレット界ですがこの15年で着実に裾野は広がっていると感じます。
先日も音大の今年二年生になるマリンバ専攻の学生が聞きに来ていました。なんでも学校で僕がヤマハから出版している『レパートリーで学ぶジャズマリンバ&ヴィブラフォン』(2007年出版)を使ってあれこれとジャズにチャレンジしているそうで、一度僕の演奏を見たかったんだと。嬉しい限りです。そりゃそうでしょうね、あれこれ書いている奴がどんな演奏をしているのかは誰だって気になります。

本はヤマハでは既に絶版となり熱帯雨林で流通していますが、一時はフランスなど海外のサイトで法外な価格を提示されていて心配していました。問い合わせが僕の所に来るので、それに関してはまったくノータッチ。勧められないので手を出さないようにと告げるだけでした。今は国内でそれなりの価格で流通しているようです。でも、そんなものをどうやって手に入れたのかと問うと、学校の図書館にあるんだとか。それはいいですね。学生の役に立つなら作ったこちらも本望です。

そもそもヴァイブラフォンやマリンバで大学までにジャズに興味を示すのは、余程の何処かの誰かみたいに(誰だ!?)小さいときからそっちの世界に浸っていない限り出会いようが無いのが日本の社会です。
それよりもむしろ音大等を卒業する段になって将来を見据えて慌てて駆け込む方式のニーズが多かったのが、音大や専門学校入学時にジャズに触れる意識が出ている点に、少しずつではあるけれど裾野の広がりを感じているのです。

『レパートリーで学ぶジャズマリンバ&ヴィブラフォン』もちょうどその時期に差し掛かった人にコード・ミュージックの世界の仕組みを演奏しながら身に付けるメソッドとして作っていますからニーズは確かにあるでしょう。時々曲集と勘違いされている人もいるようですが、あくまでも学び本なのでご注意を(笑)

さて、時代の変わり目というのは、それまでの常識というものを一旦ニュートラルな位置まで引き下げて,周りの状況に沿った新しい流れを見つけて行くものだと思います。
それは一日や二日で切り替えられるものではなく、長いスパンで考えて進むべき道です。その時に最初から「詰めない」である程度のゆとりを持って押し進めるのが理想です。

リハーモナイズ(reharmonize)というこれまでのジャズが持っていた主張やパワーの源の一つを、ここでもう一度見直してみるのも新しい時代の入口へと結び付くかもしれません。かといってそれらを否定するものではないのは最初に明言しておきます。何が何だかわからない内に随分着膨れしているのを一旦落としてみましょ、という。


■Polka Dots And Moonbeams の冒頭の部分でリハーモナイズというものの原点を考える


有名な“Polka Dots And Moonbeams” の冒頭の部分を弾く機会があってちょっと見直していました。
どこにでもありそうな本にはこんなコードが載っているのを見た人は多いでしょう。

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これが悪いと言っているんじゃなくて、ここに書かれているコードを本当に好きですか? という問掛けをしているのです。ここまでに数回に渡って共鳴する部分、作為的で今ではちょっと共鳴出来ない部分、元に戻した部分など、いろいろとこのたった4小節のコード付けを検証して来ました。

現時点では、コードの選択をここまで整理整頓しました。

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ベースの動きは二小節を一つのパターンとして捉えていますが、4小節目のベースの動きをもう少し抑えることが出来ないものか、、、と思うのですね。

ここではツーファイブがつかわれているのですが、最初に参考としたどこにでもありそうな本では次に Dm が来るのに、その準備となるべく マイナーのファンクションは行われずに、メイジャーのファンクションが使われています。
アレンジとしてそれも面白いのですが、キーの事を意識すると B にフラットが付かないのはなんとなく中途半端なのに、ツーファイブという強烈な動きのまま平然とするのも、なんだかなぁ。。。と思う。

そこで、この部分を全く発想をかえてみてはどうなるんだろう?

そこで、上の譜例に示しているサウンドのキャラクターとして据えている二つの音の動きをそのまま使えるなら、これは新しい解釈として自然な流れを生むのではないか、と。

Em7 - A7 というものを別の形で表現?
A7 を何かと置き換える?? っえ? subとかって Eb7ですか?
いやいや、そういう発想ではなく、もっと自然に、それでいて今なら自然に聞こえるもの。

ツーファイブを一つのコードに取り込むとどうなる?

sus4 !!

これならベースは同じ音かオクターブ。サウンドの変化は内声で明確に表現出来る。
しかも、Bb の存在を意識するなら b9th を挿入出来る。

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A7 sus4 → A7(b9) → Dm7

まだあるよ!
本来のリハーモナイズが一体どういう事から始まったのかを振り返ると・・・・!




ポスト・リハーモナイズ-その5 2022/4/29掲載

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■ヴィブラフォン界で話題沸騰! 今月発売の『ジャズ批評 2022年5月号』ジャズ・ヴィブラフォン特集!

何と言っても世界初のヴィブラフォニスト120人(海外100人 国内20人)のディスクレビューという前代未聞の特集をやってのけたスタッフに心から労いの拍手と感謝を申し上げます。
これがジャズピアニストやジャズサックスでは数が多すぎて無理だし、普段から少数民族とされるヴィブラフォンだから実現したということもあるでしょう。

ネットの時代になって個々が思い思いに情報を発信することは盛んになったけど、じゃ、全体は一体どうなってるんだ? という肝心な事がさっぱり見えなくなって久しい。散々な批判もあるけどジャズメンの人気投票などで「ヴァイブ」の海外・国内部門があった頃は不動の3位ぐらいまでの有名どころはさて置いて、全く無名の新人が登場しては人気投票欄を駆けあがって行くのを見て興味が湧いたものでした。それが細分化され、「公」という場を失い、知り合いだけが集う趣味の場になりつつある時代に、少なくとも「公」の誌面でこれだけの特集が組まれたことは、後年に残る偉業となるでしょう。まず120人というヴィブラフォン奏者が世の中にいることを知らしめただけでも大変有意義。

肝心なのは、これをヴィブラフォンの熱心なファンや聴き手がチョイスしてまとめ上げた所にあります。客観性に乏しい情報には信憑性がありませんから。「いかにも」に見せかけて捏造する情報ならネットに氾濫しています。またそれを鵜呑みにしてしまう習慣を日々の情報氾濫と誘導でネットはどんどん増やしてしまいました。当事者がやるのではなく第三者がやる、ということの有意義性。

奏者(当事者)の立場から言えば、元々数の少ない世界。争ったところで何の得も意味もない世界ですから、どこの誰がどんな事をやっているのかにお互いが興味を持つ機会をこのような「公」の形で示してくれるのを歓迎するのです。
ネットでSNSが登場する前に「日本ヴァイビスト協会」というネット上でのコミュニティーが立ち上がった時も、主導権は必ず聴き手側でアマチュアや非専業者が持ち、プロは依頼を受けたらそのお手伝いをする、という取り決めがありました。
SNSの登場で現在は活動停止中のようですが、やがてニーズが訪れるでしょう。

ともあれ、ジャズ批評の特集を一度ご覧ください。
よくもまぁ、これだけ資料が集められたものだ、と思わず感嘆するでしょう。

これは大きな「愛」です。
大きな愛のある場で、楽器も、音楽も育って欲しいと切に願うばかりです。
今回は選考に入っていなかった将来の有望株も含めると、国内でもこの20人で収まるはずがありませんが、このような企画が齎す励みはさらに業界を進化させるはずです。
パッと将来が明るくなったヴィブラフォン業界です。



リハーモナイズ(reharmonize)について考える時に、なぜリハーモナイズが必要になったのかを忘れてはいけません。

こんな具合です。

ある曲を演奏する時に、どうしても最後のコードが「こっち」の方がかっこいいのに、と思ったA君。メンバーに、この部分は「このコード」で演奏しませんか? と提案。
じゃ、と実際の演奏になって、「ここも他のコードに置き換えたほうがいいかも」などと次々にアイデアが生まれてくる。
そうなると口頭で伝えていたのでは覚え切れないから譜面に新しいコードを書き加える。

まともなバンドの経験があれば、こういう事象は日常茶飯事。昔はこのような感じで既存の曲を如何にカスタマイズしたサウンドに仕上げるのかがバンドの売りにもなっていた。
オリジナル中心の時代にはあり得ない光景。
だって目の前に作曲者がいるのに、「ここのコードは・・・・」なんてズケズケと切り出したらぶっ飛ばされるかクビだ。そういう会話が成立するまでには十分な共演時間と理解が必要。
だから、遠い異国や天国にいる作曲者に断りもなしに勝手にコードを置き換えて演奏していた時代はもう遙か昔に。

でも、見知らぬ演奏家も含めて「このコード進行はイカしてる」と称賛されるとそれがやがてグローバル・スタンダードとなって来た、というものです。

今の時代から見ると、かなりコッテリしたリハーモナイズも当時は十分にイケてたわけです。

さて、現代に戻りましょう。

昔に比べれば、ミュージシャンの予備知識も感覚も比べ物にならないほど洗練された時代。その中でリハーモナイズされた譜面を見ると、ちょっと昔とは違った考え方が生まれて来ます。

そもそもインプロヴィゼーションを人前で提供しているのですから、決まり切った事がたくさんあればあるほど即興演奏というものから遠くなります。
ここが一つのポイントなんです。

このお話の切っ掛けとなったスタンダードの“Polka Dots And Moonbeams” の冒頭の部分。

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どこにでもありそうな本に載っていそうなコード進行。
これを一旦ノーマルで自然な形に戻しました。

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あっさり。
でも、なぜあんな風にコードをコッテリと増してたのでしょう?

それはサウンドに対する“愛”だと思うのです。
色々とサウンドを伴奏の形態でチェックすると、あの“愛”の形を今の時代に沿う形に再現できるかもしれない。

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それがこの2小節目と4小節め。
特に sus4 の登用は昔には無かった響をもたらしました。

さらに、あの“愛”の形で一番強く、重く、想定されていた部分。
そう、1小節目の四拍目。コードで言えば Ab7。
さらに、3小節目の四拍目も、わざわざ次の BbMaj7 に寄せるために、ドミナントコードに無理やりベースラインを C で繋いでいた F7/C。これもかなり強く、やや強引な“愛”でした。

それらを、もしも、「気が向いたら・・・」なんていう、とても昔では言えないような理由に包んで、セカンダリードミナントで Ab7 の置き換えともなる D7 を挿入するなんて事はどうでしょうか。

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↓の部分がそうですが、これはあえて譜面には記しません。
この部分、ペースには基本のrootを演奏してもらうのです。事前にそういう打ち合せを行って。
そして、「もしもD7が欲しくなったら弾くけど、そうでもなければそのままDm7にするから」と、実に自分勝手な打ち合せをするのですね。
でも、これが、実はインプロというものを生かした場合、その時に感じたチョイスを選べる、という演奏者にとっての自由選択肢を与える事になるのですね。

最初から譜面に書かれているのと、書いてないけど選択肢が潜んでいるのと、どちらが即興演奏に近いでしょうか。

時代は後者へと進んでいます。
それは、オリジナル曲が目の前の作曲者の意図する通りのサウンドを求められるのに対する反動だともいえるでしょう。スタンダードを演奏するときの。

先週からのツアーの二部の最初に、この曲とチックコリアの曲をメドレーでヴィブラフォンのソロで演奏しました。毎日少しずつ変えながら最終日にはほぼ予想した通りの仕上がりに向かえました。日々試しながら完成させるのがライブの現場だと思うのですね。毎日同じ事をやる場ではないと。

リハーモナイズによって、少しでも響が新鮮に感じられてくれたなら、自分がチャレンジしたことの一つが実を結びつつある、ということに繋がるのです。

(おしまい)