ソロとコンピングの再考 その4 2021/10/08掲載
物事に一流も二流もないかもしれませんが、時々バンドを聞きに(ある意味では観に)行った時に、これは一流ではないな、と思うものがあります。
曲が始まる時に、勢い良くドラム(役割としてでしょうが)が、ワーン、ツー、ワン-ツ-スリー-フォー、とスティックを鳴らして始まる曲のテンポを出すアレです。テンポ・カウント。
聴き手としてその場に居合わせている時、次に何がはじまるのだろう?と固唾を呑んで待ち構えているところに、カーン、カーン、とコレが聞こえて来たら、もう集中力は台無し。
そもそもテンポ・カウントというのは裏事情、裏方技なわけで、タクトを振る指揮者のいない場合に致し方なく発するもので、音楽本体ではない。だから、そんなに堂々とやられたら、シラケてしまうのです。
もちろん、これをある意味で景気付けのパフォーマンスとしている例もあるけど、それは前後の曲との兼ね合いの上で成り立っているもの。使われる状況が違う。
たしかに、メロディーが一拍目から出る場合は難しいので、そう言う場合はカウントが役に立つ。その代わり直前の最後の拍か、最後二つ(四拍子なら3-4)が関の山。ワン・ツーを入れる時は空振り。つまり曲と関係のないものは極力音を出さず、が大原則。だって音楽ですよ、音を楽しんでいるわけですからね。
メロディーが二拍目以降から始まる場合は、一拍目を全員で出してメロディーを聞けばテンポはわかるはず。頭から最初のメロディーの音までの時間で尺取りするわけ。
聞いていて、本体とは関係のないものがたくさん聞こえるとやはりこれは一流ではないなぁ、と感じるのです。
リハーサルでその練習を軽くするぐらい、曲の前後左右に神経を行き渡らせると、きっと本体の演奏も変わってくるでしょう。
テンポ・カウントは必要だけど、演奏者全員が「その曲」を把握していれば出さなくても、あるいは客席にわからないくらいサイン(本来はそういうもの)化して演奏を始めると、一流っぽくなるものです。
ちなみに昔のレコーディングでは最後の拍は抜く、というのが鉄則でした。いまのデジタル編集と違って余韻が頭の拍に被るのを消せないからです。テンポによっては二つ抜きというものもありました。その間空白ですからちょっとしたスリル。それだけ余分なものには皆気を使っていたのでした。
だから昔のプレーヤーは余韻にまでこだわって演奏している様な気がします。デジタル化で必要なくなったものではありますが、これは見習うべき事ですね。
コンピングとソロの再考。
題材として挙げたのはブラジルのボサノヴァ以降のMPB(ムージカ・ポプラール・ブラズィレイラ)のひとつミナスの代表者セルジオ・サントスの曲の冒頭。
私たちがジャズ的な発想によるコンピングを考える時に、ベーシックなトライトーンを軸としたヴォイシングや、オープン・ヴォイシングでこの曲の伴奏を考えるでしょう。
するとそのヴォイシングから、インプロ(アドリブ)のメロディーを引き出す、というのは自然な行為でジャズのインプロはコード進行とコードサウンドによってガイドされ導き出されているわけです。
その例についてメロディー発想の源を探ってきました。
このコードサウンドというものがジャズの醍醐味だと考える僕のような人間は、同じコード進行であっても、メロディーや固有に曲が持つ独特のサウンドというものに影響されながらインプロを行うので、最初からジャズ的なサウンドをそれらの曲に貼付けるような事はしません。
サウンドこそに「その音楽」の持つ特徴が現れているわけですから、そこに土足で踏み込むような事は出来ません。
では、この曲、本人達はどのように演奏しているのでしょう?
一番大切なことです。
すると・・・
まるで別のコードサウンドのような伴奏が用いられています。
EMaj7であるけれど、Bのトライアドを乗せている感じを強調する B/E というヴォイシング。もちろんこれを単なるEMaj7 + 9thの上三声(5, Maj7, 9)と解釈してEMaj7(9)とすると、この曲のメロディーのニアンスにそぐわなく聞こえるのですね。
同じくDMaj7もAのトライアドと解釈すると A/D 。
コレを軸にどんな発想と結びつけるか・・・・
おもしろいのですが、B/E とか、 A/D とか独特のサウンドの中でこれらを自由に行き来できないものかと浮かんだのが、それぞれのアッバーストラクチャーのトライアドを軸としたペンタトニック。
これだとこの特徴あるサウンドを維持したままソロに至りそうです。
ペンタトニック・スケールは民族的な音階、という言葉を思い出させてくれました。
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