■平成最後の年の新しい出来事/プロデュース
平成最後の年明けは、ラジオから始まりました。
僕の人生の中に時々出てくるラジオ。最初は中学でした。ジャズの世界に進むか、放送の世界に進むか・・・・一瞬の選択肢に含まれたところから節目節目にラジオは出て来ます。
平成の最後はちょうど正月明けの誕生日に地元の放送局でのラジオの収録から始まりました。
FM愛媛のスタジオで、松山のレジェンド・ドラマー堤宏史さんの番組「ワンダフル・ジャズ・タウン」の収録
これまでも何度かお邪魔した番組ですが、今回は自分の新譜の事ではなく、近年プロデュースを手掛けた作品にスポットを当てて。
左から:『First Visit/高橋直樹』(愛媛)『TOWER-誕生/GPSY VIBS』(静岡)『PIOGGIA/中島仁』(長野)
前年(2018年)の12月に中島仁のアルバムがリリースとなりプロデュース面でのアピールを行い始めた時期でした。僕が知る限りではあるのだけど、日本のジャズの現場ではプロデュースとして楽曲のコードやフォーム、ソロの内容等、音楽的な部分で演奏者と膝を交えてディスカッションするプロデューサーは少なく、仕上がりも殆ど演奏者に任せきりという場面が多かったので、もう少し内容にも関われる踏み込んだ形のプロデュースをやってみよう、と始めたものです。殆どは些細な事で、繰り返しを一回減らすとか、コードの修正とか、ソロのストーリーとか。主人公はあくまでもリーダー、またはメンバーだけど、という部分に居場所があれば出来る。ヴィブラフォン奏者以外の自分の表現という事なのかも。
東京に帰ると、今度は何やらラジオが騒がしくなっていた。
静岡のGPSY VIBSのアルバムが細野晴臣さんの番組Daisy Holidayで紹介された。朝になる頃にはこちらのTwitterにメッセージが届き始めどうやらあちこちで話題になっている様子。実はこのアルバムの全く同じ曲は、前年夏に星野源さんのオールナイトニッポンでも紹介されて話題になったのです。
■自らのバンドSPBでの平成最後の番組出演と令和最初の初東北ツアー
自らのバンドで平成最後の番組出演となったのはNHK横浜放送局の生放送「横浜サウンドクルーズ」でした。
赤松敏弘(vib)meetsハクエイ・キム(p)with市原ひかり(tp,flh,vo)小山太郎(ds)須川崇志(b)酒井麻生代(fl)@NHK横浜放送局サテライト
300名超という番組史上最大(キャスター岡田美咲さん談)の観衆が放送局のサテライトからはみ出して隣の施設の階段まで埋め尽くしました。お集まり頂いた皆様に感謝! 秋の横濱ジャズプロムナード2019が台風で開催中止となったのでこの機会を見逃さなかったみなさんはラッキーでした。
令和最初となったのがSPB“DASH”メンバーによるバンドのツアーとして向かった東北!!。全五ヶ所(栃木・岩手・青森2箇所・秋田)の内4箇所が満員御礼という大変嬉しく楽しいツアーに。各地でご協力いただいたみなさん、及びツアー・コーディネートいただいた三上さん、ハクエイ・キムに心から感謝致します。
■5/8(水)19:30=栃木・宇都宮Cafe Ink Blue (duo)
■5/9(木)19:00=岩手・盛岡すぺいん倶楽部 (duo)
■5/10(金)18:30=青森・弘前 カフェテラスKerara (SPB)
■5/11(土)18:30=青森・大鰐 あずみ野デイセンター (SPB)
■5/12(日)18:30=秋田・田沢湖 湖畔のレストランORAE(duo)
SPB“DASH”:
赤松敏弘(vib)meetsハクエイ キム(piano)with小山太郎(ds:5/10 & 11)須川崇志(b:5/10 & 11)
底抜けに東北は明るかった!
■令和最初の年の新しいこと/Musser社のエンドーサー国内第一号に
ツアーから戻ると米Musser社とのエンドースメント契約を結びました。
長年愛用しているヴィブラフォンのメーカームッサー社の専属契約国内第一号
また春からは洗足学園音楽大学ジャズコースでも教え始めました。これも令和に向けた新しいことです。
■さらにプロデュース・アルバムで
さらに今度は中島仁のアルバム『PIOGGIA』が全く別のところで注目を集めることに。
ナント、年の瀬になって第26回(2019年) 社団法人JAPRS日本スタジオ協会選定日本プロ音楽録音賞クラシック・ジャズ・フュージョン部門で【優秀賞】に選ばれた!
見事、アルバムのチーフ・エンジニア今関邦裕が受賞。年間で一番いい音の作品を録音した技術者と作品に送られるもので、有名エンジニア審査員のブラインドホールドテストで選ばれたようだ。
何れにしても自分がプロデュースした作品やチームが選ばれたのは誠に嬉しい限りです。
■令和でさらに新しいこと
この年末年始は新しいことの準備に時間を取っています。
何事も新しいことと言うのは色々試しながら進めないと要領を得ません。
今もシミュレーションだけではボリュームがわからないので一つ形を作っている最中です。アイデアを形にする、それは作曲で曲を産むのと同じくらい時間と精神的労力を要します。でも全然苦痛ではありません。好きこそものの上手なれ。これは娯楽・芸術の世界に生きる基本です。好き過ぎても周りが見えなくなるのでその一歩手前で横を見渡す遊びがあるかないか。
2020年は1990年11月1日にCD『アンファンIIIフィーチャリング赤松敏弘』(ポリドール)でデビューして30年、近作をリリースしているレーベルVEGAで20年と言う大きな節目が重なる年になります。
それに向けた新しいこと、進行中なんです。
■平成のお別れに
平成が終わると共に最愛の母を亡くしました。しかし、父の時と違って、最後まで看取れました。母は十分満足してくれたと思います。
その前日の午後は東京でライブだったのですが、信じられない事が起きてその日の内に母の元へ辿り着けました。どう考えても楽器と共に車で帰宅して最終便に乗れる電車には間に合いそうにない・・・・しかし、ラストチャンスの電車にギリギリ間に合う時間に帰宅出来、楽器は積みっぱなして念のために駅へ行ってみた、ダメ元でもいいから何かしないでは過ごせなかった。すると、乗り遅れるだろうと思った電車が5分遅れてやって来た。
ホント?
ちょっと信じられなかったけどそのまま乗り継ぐと5分遅れで品川駅に着いた。しかし、搭乗受付締め切りに間に合う電車はその時すでに出発の時刻を過ぎていたのですが・・・
京急のホームに上がると、その日の午後に信号故障の影響で全線で10分の遅れ。自分でも信じられない事が次々に起きている。
いつもなら腹立たしいと思う列車の遅延によって、絶対に乗れないはずの列車に乗れて最終便の飛行機に間に合ったのです。
飛行機の中で覚悟は出来ていましたが、この奇跡の乗継は何物よりも有難かった。どんなに翌日頑張っても着くのは今から12時間後。それがその日の午後9時には病室にいるのですから。多分、母が引き寄せたのでしょうね。最後の最後に我がままを言ったのかもしれません。いつもテレパシーで結ばれていましたから。
ライブの後に自宅に戻って準備して乗り込む予定だったサンライズ瀬戸のチケットは無駄になりましたが永遠の記念品になりました。未使用のそのチケットを見る度にこの日起こったいくつかの奇跡を思い出すでしょう。いま考えても不思議です。
翌日は、横浜から飛んで来る、先日出演した「横浜サウンドクルーズ」のライブのネット配信を一緒に聞きました。時にニコリとしてこの日はとても穏やかに過ごせました。
平成と共に母の思い出は残りました。
父の時は20世紀、母の時は平成。どうやら我が家は大きな区切りと縁がありそうです。
じゃ、少なくとも僕は令和を後10年は生き抜かなきゃなりませんね。2030では大した区切りにならんか。。
悲しかったのはほんの一瞬。
楽しい時間を一緒にたくさん過ごせてよかった。
生前の父との約束を無事に果たしきれた気持ちが悲しさを上回りました。
今になってポッカリと空洞のようなものも感じますが、去年の暮れよりも心は遥かに楽なのかもしれません。
さようなら、平成。
ありがとう、平成。
気がつけば昭和〜平成〜令和かぁ。
父も母も昭和〜平成。
おじいちゃん、おばあちゃんの明治〜大正〜昭和と並んだな(笑)
幸いなのは、一度も戦争を知らないことです。
どうか皆様、良い年を!
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